無題(集団ストーカーの犠牲者へ遺したいこととかそういうタイトルにする予定)

百聞は一見にしかず 百見は一験にしかず(中学校の先生の言葉)

すぐ答えを求めるのは野暮なこと

今の世代の方々には信じられないことかもしれないが、ビジネス書の本当に古い本(好きだったのはタ○ゾー先生)を読むと、哲学に終始していてじゃあ明日からどう仕事でつかえばいいのかという明確な答えが書いてないことが多かった。哲学なんて「時間とは何ぞや」とかを徹底的に考えるような思考の遊びでそれ以上でもそれ以下でもない物なのに。ビジネス書と哲学書の境界がまだ曖昧だった頃なのかもしれない。それで出版側からかテコ入れが入ったのだろうが本のタイトルから結論というか真理を大胆に言う本が多くなった。今の世代は考えなくても答えを誰かが言ってくれるある意味幸せな世代である。特に私の世代の時から暴論言って活躍して今も売れっ子な人がこの流れを強く牽引している感じがする。

自己啓発にハマる人は真面目な人だろう。なのに、世の中過酷がいっぱいだからかその中から誰かに答えを言ってほしい!答えは結局なんなんだ!って私なんかイライラしてしまって。出版側かどっかでのテコ入れがあったということは結構同じ人間居たと思う。そして需要は供給を生む。結果、極論でもあおりでも答えを沢山言ってくれる人が流行るようになった。こうして日本はプログラム通りに動くだけのロボット人間だらけになった。

でも私にも責任がある、安易に答えを欲するべきではなかった。答えを言わない哲学を憎悪したりしていたが、その実はただ私は操り人形になり、思考停止したかっただけだった。

ヒッグス粒子を発見したCERNってとこには、神の数式に最も近いとされる数式が刻まれている。「神の数式」じゃなく「神の数式に最も近いとされる数式」だ。こんなに科学が発展して生活が豊かになっているいるのに人類は未だに真理=あらゆる現象を寸分の狂いもなく表すことができる数式を探す戦いを続けている。答えが分かった!は嘘つきの言葉かもしれない。

安易に答えを求める人は極論暴論大好きの狂った人間になる、逆に答えを急ぎ探さない人は穏やかで寛容であり、何事もうまくいく。

 

当ブログでは、失敗談から人間が変わるヒントを散りばめていきたいと考えてます。

色んな角度から書いていくつもりです。

今後ともよろしくお願いします。